人生いろいろ有栖川

触れたコンテンツの感想 など ネタバレあり 一旦のメモにも使うし改変も削除もする

休学、12分の1、あっというま

 

 若い頃の一日って、永遠だった気がします。

 

 朝起きてご飯を食べて家を出る。

 学校に行って授業を受ける。

 放課後になって部活をする。

 部活が終わって誰かと一緒に帰る。

 家に帰ってゲームをする。

 

 そのひとつひとつが、今の一日分くらいの価値があったように思えます。

 過ぎ去る日々がやけに早いけれど、物事はうまく進まないけれど、

 それでもせめて、今日の一日もあの頃の一日と同じくらい素敵だと信じていたいです。

 

 

 10月の感想。

 色々なことに追われているので、多分文字が少ないです。 

 

 日々の話。

 

 散財しないといいつつも、

 なんだかんだで結構ウィスキーを飲んでしまいました。

 反省……

 今月は家で貯蔵しているフィンラガンとアルボラリスだけで乗り切ろうと思います。

 

 居酒屋には行かない。

 バーにも行かない。

 でも人とは会いたい。

 

 なので適当なランチとか、夜喫茶とか、誰か行きましょう。

 

 

 そう。

 妹が、すごく勉強を頑張っているらしいです!

 とても嬉しい。

 

 妹は中学の後半から不登校になって、そのままずっと中卒だったのですが、

 20歳になった今年、やっぱり大学で勉強がしたいと言い始めたのです。

 今年の初めは偏差値が30くらいだったのですが、

 行きたい大学の判定もCかBか、くらいになってきて。

 なんとか合格して欲しい。

 

 ただやっぱり、結構勉強はとても大変のようで、いつも唸っている。

 そのせいか数日前には

 「オマエの受験期に邪魔して悪かったな」

 なんてことを言われました。

 

 僕の大学受験のタイミングで、妹の不登校をはじめ、

 家族の大きな問題が2,3重なっていたので、

 妹はそのことを引け目に感じたらしいです。

 浪人しても結局落ちてるし、気にしなくていいのに。

 

 ただ、妹が合格したら都内に僕と住むことになりそうです。

「休学してんだからそれくらいは我慢しろ」と両親に言われました。

 僕はシスコンなので全然いいです。

 妹がかわいそう。

 

 

 

 

 

 創作の話。

 ゲーム。

 自分のシナリオは概ね書き終わっていて、あとは色々と実装や素材が完了するか、というところです。

 (とはいえ、実装面では自分がやらなきゃいけない部分もあるんですが)

 なかなか全てがスケジュール通りに行かなくて、もどかしいです。

 

 昔読んだ漫画に書いてあった言葉なんですが、

 

「勝つのは選手のおかげ、負けるのは監督のせい」

 

 という言葉をすごく大事にしています。

 プロジェクトを管理してる時、うまくことが運ばない時は必ず自分に問題があるのです。指示がうまく行ってないとか、モチベーションの管理ができていないとか。

 逆に、うまく行く時はみんなが頑張ってくれているのです。

 ここ数年で何度もそう感じています。

 

 

 小説。

 先月は人生で一番本を読んだような気がします。

 メインはライトノベル関係のものと、脚本術の本です。

 ライトノベルはこんな感じに感想を残しています。

docs.google.com

 

 点数は結構曖昧で主観も入っています。ここに時間をかけすぎるのもな、と思い、直感でつけている部分もあります。

 

 新人賞を受賞した本を片っ端から読んでいるのですが、自分の興味のあるジャンル以外のものや、まだ荒削りな作品が多かったりもします。

 だけど、クリエイターさんにその話をした時に、それで良いんだと言われました。

 

「『面白い』は主観や感覚が入っていることが多いが、『つまらない』はそれより明確であることが多い」のだそうです。

 だからしっかり「つまらない」作品を読んで、つまらない理由を言語化し続けることは、自分の作品が『負けない』ようにするための一番の勉強だと言われました。

 それができてやっと「おもしろい」とか『勝てる』とか言われる作品をつくるためのスタートラインなのだとか。

 

 加えて、つまらない作品を真剣に見れるのは時間のある大学生の間だけなのだとも言われました。

 社会人になると、時間もないし疲れている、流石に面白い作品に触れたい、のだそうです。

 なんだか励みになります。

 

 

 脚本術に関しては、新井一先生の「シナリオの基礎技術」を20時間ほどかけてノートを取りながら読み、それから「SAVE THE CAT」を3時間かけて一回読みました。今月は後者をしっかりノートを取りながら読み返そうと思います。

 受験とか研究を通して、自分が天才ではないことと、凡人だがコツコツ頑張ることは好きだということを実感しました。脚本術の勉強は成長を感じてやりがいがあります。

 

 先月はとても苦しかったけれど、それ以上に、

 やっぱり物語を考えるのが好きだと思えました。

 時間がないけどとりあえずあと11ヶ月、頑張ってみようと思います。

 

 寒いし、色々大変だし、

 しっかり運動して、しっかりご飯を食べます。

 今月もファイト〜

 

寒いねえ

半年間の通学定期の有効期限が切れて、

休学が始まったんだなあ、と、ぼんやり感じていました。

 

扉の隙間から差し込む風が前よりもだいぶ寒くて、

ああ、夏が終わったんだなあと、少し寂しく思いました。

 

最近は極端に暑かったり、かと思えば急に寒くなったり。

夏と冬しか季節が無くなってしまったのか、と思うこともありますが、

そうではなく、僕が緩やかな変化に鈍感になっているだけのような気もします。

気づけば一ヶ月が過ぎるので、一年のお休みなんてあっという間だろうなあ、

と焦っていたり。

 

日々の話。

ゲーム開発のdiscordだけは忙しなく見ていますが、

それ以外には基本的にSNSを避けています。

他人と連絡をとったり、タイムラインを眺めたり、

そういうことを少しは減らそうかな、と思いました。

(それでも日によっては、あまり格好つけ過ぎずに連絡しますが)

 

 

誰とも喋らないと、マイナスなことばかり考えてしまいますよね?

言葉や感情が、頭の中でぐるぐるしてしまいますよね?

だから誰かとDMで連絡をとりますし、食事に誘いますし……

そうやってある程度は発散しないと、生きていけないのだと思います。

程度は人によって様々かとは思いますが……

 

けれど僕は、それで素直に満足をしてしまうと、

色々なモチベーションが保てない人間のようです。

 

人と喋らず、人の状況を確かめたりせずに、

頭の中でぐるぐると言葉を溜めておく必要がありました。

そして、溜めた言葉のうち、いくらかの割合は、

他人じゃなくて、物語に吐き出さなければいけないはずです。

そういうわけで、家ではほんの少しだけ、

自分と向き合う時間を増やそうとしています。

 

ここまで偉そうに言っているけれど、

正直金がないからそんなに人と連絡とりたくないというのもあります。

飲みに行こう、という話になると、断りたくもないですし。

 

あと、最近は都内を当てもなく散歩することが楽しいです。

散歩はとてもいいです。

知らない景色に出会えますし。

話したい人と長く一緒にいられますし。

ほんの少し、健康になれますし。

お金もあまりかかりませんし。

 

散歩のお誘いは、いつでもお待ちしています。

 

 

創作の話。

ぼちぼち、色々な新人賞の受賞作を読んで、評価シートを作っています。

例えば、ライトノベルであれば、こういうテンプレートを作っています。

本を読むのは遅いし、疲れやすいしで苦手ですが、

少しずつ頑張っていきたいです。

(書くのはもっと苦手ですが……)

 

 

それと、最近は創作術の本にお熱です。

小説だけ、というよりは、シナリオとか脚本とか、そういったもの全般ですね。

ゲームのシナリオも書いているし、最近は他のこともありそうだし、

何より、それらの基盤はきっと同じなので。

 

『SAVE THE CAT』とか、そういう有名どころを十冊くらいは探索していけたらな、

と思います。

 

『シナリオの基礎技術』に書かれていたことに近い話なのですが、

 

「テーマというものは、筋書きやキャラクタという器の上に載せられるものである。

丁寧に丁寧に敷かれたプロットや、語るに値する生きたキャラクタがあって、

その上で初めて、物語の上に載せることができるものである。

その皿にヒビが入っていたら、他人には魅力的には映らないし、

割れていたら、そもそも載せることすら叶わない。」

 

ということを今頃になって、初めて気付かされたような気がしました。

僕は自分の言いたいこととか、書きたいこととか、そういうものを優先してしまい、

結果として筋書きやキャラクタがめちゃくちゃになることも多いので、

もっとちゃんとしなきゃなあ、と思います。

一からのスタートだと口では言っていましたが、

基礎を学ぶほど、自分がゼロなのだということを痛感しています。

 

最近は反省することばかりです。

けれど、少し楽しくもあって……

やっぱり、自分のやりたいことはこれなんだなと思いました。

 

 

あまり話すこともないので、これくらいです。

今まで知り合った人たちが今月も幸せであることを願います。

 

夏は終わってしまったけれど、夏が終わってしまったからこそ、海に行きたいですね。

今ならあまり人もいないでしょうし。

寒くて静かな海もいいですよね。

 

www.youtube.com

 

 

11月もこれを更新できたらいいな。

10月から1年間の休学が始まります^^

なんか専攻長の許可が取れるかわからなくて若干焦った時期もありましたが普通に受理されました。

理由

・小説とゲームシナリオが書きたい

・日本語が上手くなりたい

・素敵な物語が作れるようになりたい

・その間他のことに気を取られたくない

 

今後

・バイトは週2フルタイムくらいでやる(ふつーに技術系)

・それ以上の収入がないのでほぼ生活ギリギリ

・ランチや夜ご飯は誘って欲しいけど酒飲むお金はない

 

・色々応募したり投稿したりして頑張る

・もしかしたらまたゲムの会社で業務委託かインターンの仕事もするかも

 

・あまりSNS見ない(ふだん一日10時間見てるから時間が取られ過ぎている)ようにする

・最近頻度を減らしてるけど弱い人間なのですでに辛い

 

・一年後に復学したら普通に修士号を取る

・修了後はゲーム会社にいけたらいいな、

ナラティブデザイナー≧ゲームプランナー>ゲーム会社エンジニア≧死ぬ気で生きて博士課程>普通のエンジニア

のイメージ

 

ほか

・六月にゲーム会社のインターン終わった(むずかしかった、、、)、インターン二つ掛け持ち、20単位取得、一応研究ありの春学期前半が一番きつかったかも、今はのんびり

・FinTechでのインターン(金が高いので)はまだ続けてる

 

・色々ゲーム作ったり文字書いたりしてるので読んだり感想送ってくれたりリツイートしたりしてくれると嬉しいです。

(それでライターの仕事決まったことあるし、そうじゃなくてもとても嬉しい)

 

追記

・漫画のネームとか作詞とかも機会があればもっと挑戦したいので一緒にやってくれる人いたらお願いします

 

 

 

note.com

 

頭良い奴は一生ビジネスの話だけしててほしいな〜

note.com

 

賢い奴とか、高学歴な奴とか、育ちがいい奴とか、

そういう奴らが小説の話とかしてると、とても辛くなる。

そんな経験ないですか。

僕はあったりなかったりします。

そんで、なんだかんだで今も「本は貧しい人のためにあって欲しい」と思い続けてるっぽいです。

 

 

僕自身、読書をしていた時期を思い返すと、それに没頭した一番の理由は「お金がなかったから」でした。

 

とてもコストパフォーマンスがいいんですよね、読書って。

漫画だと20分で読み終わってしまうけれど、文庫本は一冊で1時間以上時間を潰せるわけです。

しかも、ブックオフに行けば100円で買える。

一ヶ月で自由にできるお金が1000円もなかった小学生の時期、娯楽として成立させることができるのはそれくらいでした。

漫画だと、一冊で完結するものを探す方が面倒臭いし、5巻セットなんかを買うと古本でもたくさんのお金が飛ぶし、しかも大体の場合、その5冊を一日で読み終えてしまう。

中古であろうと、小学生の僕にとっては贅沢品に他ならなかったのです。

だから僕の家には漫画がほとんどありません。

(大学生になってから、その反動で漫画ばかり読むようになったけれど)

 

ここまでは金銭の貧しさの話でした。

もう一点、精神的な貧しさに就いても言及しておきます。

僕が読書に、というより物語に没頭していた理由は「現実がロクでもなかった」からです。

 

最近インターネットで見かけたこいつになんとなく親近感を抱いています。

 

読書は「貧しい人が一番安く行える現実逃避」だと思っています。

児童書なんかまさにそうです。

冒険があって、少しの困難があって、けれど最後には這い上がって幸せを手に入れます。

なんて素敵なおとぎ話!

 

とても素敵な、「現実とは程遠い」おはなしです。

けれど、現実があまりにもそんな物語と程遠いからこそ、僕には物語を読むことが必要でした。

 

 

こういう背景があるので、わざわざ豊かな人間が読書をすることにどこか抵抗があります。

お前らは高い参考書を買って、塾に行って、美味しいご飯を食べて、旅行に行って。

将来はいい大学に行って、いい会社に就いて、心優しい旦那さんや奥さんと結婚して、楽しく子育てをして。

そういう現実に投資すればいいじゃないか。

現実が満たされているのだから、わざわざフィクションに手を伸ばす必要なんてないじゃないか。

そう考えていました。

 

けれど、教育ママは「本を読むと賢くなる」と信じて我が子に物語を買い与えます。

大学生は「読書は最大の教養である」と信じて宮沢賢治を読みます。

 

「豊かさ」を表現する道具のために物語を使わないで〜〜〜〜!と思うのです。

そんなふうにして貧しい人間の聖域を犯すくらいなら、永遠にビジネス書と自己啓発本だけを読んでカタカナ言葉を喋っていて欲しいものです。

 

 

そういえばこれは余談ですが、

「でも、本を書いてるやつは大体、お前が忌み嫌っているその『恵まれた人間』なんじゃないの?本の内容も、そういったものがあるんじゃないの?」という指摘をされました。

確かに、とその時は頷いたけれど、今考えてみると少し違うような気します。

 

読書って、現実逃避で、存在しない理想を追いかけている側面があると思っています。

例えるならば、下層の貧民が、上層の貴族の暮らしに憧れるような、そういう感覚に近いものだと思っています。

そうであれば、貴族そのものは憎みつつも、貴族の暮らしには憧れますよね。僕らにとって理想の人生を記した物語とその作者を憎むことはあまりないんですよね。

そんな感じだと思います。

(とてもわかりづらい!)

 

閑話休題

 

 

ガキの頃、大人たちにしきりに「本を大切にしろ」という話をされました。角が折れたりシミがついたりすると、買った時の美しさが損なわれてしまうだろう、と言われました。

買ったばかりの本が美しいだなんて、僕は考えたことがありませんでした。普段買う100円の古本の状態なんて、たかが知れたものだからです。折れてるし曲がってるし、時にはページが破れている。

「本を大切にしろ」というのは、その時点で僕の信奉していた「読書」のカタチから離れたものだったのです。

 

 

そんで、もう少し歳を取って、中学生くらいになった時に、インターネットをきっかけにして、読書が好きな同年代の男の子と知り合いになりました。同い年なのに色々なものを読んでいるそいつのことを、僕はけっこう尊敬していました。

けれどその子は「本は大切に扱うべきである」という考え方を持っていました。口先だけじゃなく行動にも表れていました。

当時の僕はスレていました。だから「こいつも金持ちかぁ」となんとなくつまらなく思ってました。

 

そしたら後からわかったんですけど、そいつは別にお金持ちではなかったらしく、それどころか古本を買う金もなかったらしいです。

お金が1円もない人間はどうするのか、という話になるんですけど、1円もかからない趣味を探した結果、図書館で本を借りるんです。

借り物なのだから、そして次に誰かが読むのだから、少しでも綺麗な形で返すのがいいのではないか、という話を彼はしていました。

 

その話をされた時、僕はすごく辛くなりました。

こいつは俺よりもさらに貧しいのに、俺よりもずっと優しい!

 

一番苦しいのは「自分だけがどん底の不幸にいる」と感じた時ではなく、「同じくらいの不幸を抱えている人たちの中で、自分だけがダメだった」と気付いた時です。

境遇のせいにできませんからね。

だからなんだって話なんですけど。

 

 

そんで、もう少し歳を取って、僕は自分の家がこれっぽっちも貧しくないことにハッキリと気がついてしまいました。

兄は東京の私立大学に6年間通っていました。

僕も浪人が許されて、さいきん大学院に行くことも許されてしまいました。

 

小学生時代にお金があたえられなかったのは、単なる親の教育方針の問題でした。

 

今まで抱いていた劣等感や、本に求めていた救い。あれはなんだったのだろう、と思いました。

 

一番苦しいのは「自分だけがどん底の不幸にいる」時ではなく、「同じくらいの不幸を抱えている人たちの中で、自分だけがダメだった」と気付いた時でもなく、「そもそも自分はそれほど不幸ではなかったのに、勝手に不幸なふりをしている」と気付いた時です。

もう悲劇のヒロインぶることができませんからね。

だからなんだって話なんですけど。

 

 

そんなこんなで、もう自分が恵まれた方の人間なんだと完全に自覚してから、僕はあの頃のように純粋な気持ちで物語を崇拝できなくなってしまいました。かつて忌み嫌った「物語にふさわしくない」側の人間としてしか物語に触れることができなくなってしまいました。それはとても悲しいことですが、仕方のないことです。

なりたくないのに大人になってしまったと気付いた時の感情によく似ています。

 

けれどいつか、いつか再び何も無くなってしまったら、もう一度あの頃のように物語を読めるのかなあ、とぼんやり思っています。

 

しかし、自分からわざと貧しくなるのでは意味がない。造られた貧しさほど虚しいものはありません。そんな偽物では、あの頃のように「苦しい」とも「救われたい」とも思えないでしょう。

 

このまま結構頑張って、色々なことをして、それでも失敗して、全部無くしちゃって、全財産が1000円くらいになって、他にできることがなくなって、仕方なく立ち寄ったブックオフで見つけた本に心を奪われながら消えていきたい。

マッチ売りの少女のような最期を送りたい。

そんな日をどこかで待ち望んでいます。

 

なので、それまでは裕福な人間として、カタカナ言葉をたくさん使って、ビジネスの話ばかりしていようと思います。

 

そういうマインドセットでたくさんのエクスペリエンスを手に入れよう!

 

 

 

※フィクションです。

とてもたのしい修士課程

 

最近なにしても駄目なので、記事を書きます。

 

いろいろやりたいことがあって9月から休学するけどその準備もできてないしそれまで何すればいいかわかんね〜、というところがメインの理由ですが、まあ、僕のやる気とメンタルがもっと強ければこういうことにはなりません。

 

1.研究ができない。

 

実は大学院に入ってから二ヶ月間、自分の研究に関する論文を一つも読んでいません。

終わっている。

研究が嫌いなわけじゃないのになんか読めません。

一つ言い訳があるとすれば、今年の秋に休んで次の秋に帰ってくると無駄になってそうな気がしてしまいます。

機械学習系の分野の少し難しいところです。

 

でも、進められることはあるのに、、、愚かなことです。

 

 

2.授業に出られない

布団から出られなかったり、電車に乗れなかったり、渋谷乗り換えの途中で萎えて帰ったり、色々なタイミングで出席に失敗します。

むかし不登校の知り合いが「起き上がるのに一回、着替えるのに一回、支度をするのに一回、玄関まで行くのに一回、通学するのに一回、教室に行くのに一回、勇気を出さなければいけない瞬間が10回くらいあるんだよね」みたいなことを言っていたことを思い出しました。

みんなにとって当たり前のことに、たくさんの体力や勇気を使う人間がいるんだな、とほんの少しだけ実感しています。

全て乗り越えるのはなかなか難しい。

 

3.お金がない

奨学金なし、仕送りも止めてもらったりしていて、バイトを真面目にせねば日々の生活が危うい!ということで学部時代はわりかしたくさん働いていました。

 

修士に入ってからもバイトを二つくらいやっていて、なんとか日々の生活ができるくらいには稼いでいました。

なのに、なんか両立が厳しくなって片方休むことをさっき決めました。(そちらはちょっと給料が高くなかったのであまり生活の足しにならなかったのもある。)

時給がいいバイト(2500円くらい?)が無いかなあ、と思っているのですが、ろくにスキルがない。今後一年、どうやって生活しよう。

 

貯金をすればよかったのに、と少しだけ思います。

 

4.就活をしていない

研究室をずっと休んでいるのでさぞかしたくさんのインターンにでも行っているのだろうと思われていそうですが、特に就活はしていません。

理由は秋から休学するからです。

金がもらえるのなら、なんか行きたい。でもスキルなし。

 

5.将来に不安がある

色々やりたいことがあって秋から一年学校を休もうかと思っているのですが(かなり前から予定はしていた)、まあ、その後仕事とか大丈夫なのかなという不安があります。

浪人していて、修士に行って、休学もすると、普通の人より4年遅いです。

 

4年?

大学にもう一度通ってもう一度卒業できるだけの時間です。

赤ちゃんが言葉を話せるようになるまでの時間です。

いじめっ子が「あの時は悪かった」と謝りに来るまでの時間です。

付き合いたてだったはずの知り合いが結婚報告をするまでの時間です。

 

おめでとう!

 

 

やりたいこと、がうまく行っても行かなくても、定職には就きたいな、と思っています。

復学したら就活それなりに真面目にやるつもりではあります。

エンタメで職に就きたいな、と思っていましたが、ニートになるくらいならエンジニアとかも必死に探します。

とにかく、職があると、嬉しい。

 

6.イヤホンを失くした

とどいて4日とか。2万くらいのやつ。

あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

本当に萎える。

 

まとめ

いろいろ書いたけどたぶん比較的元気です。

比較的人生のことを楽しいと思っています。

こんなでも生きているのでみなさんは元気を出してください。

 

散歩とかすると幸せだな〜〜〜と思うので散歩おすすめです。

いつも歩く道でも、一つ通りを変えてみると知らない建物や知らないお店があります。

そういう瞬間が、生きているうちでいちばん好きです。

 

最近散歩してくれるみんなありがとう。

 

たまに授業行った時に飯とか行ってくれる学友たちまじでありがとう。

 

 

 

以上です。

 

 

 

ちまちま苦しんで書いてる物語もこうやって20分で1500文字とか書けりゃ楽なのに

筑波大学での4年間の過ごし方パーフェクトガイド

はじめに

 

^^

 

 

1年生

補欠合格で何とか引っかかった筑波大学の応用理工学類で大学生活が始まりました。最初の半年はサークル活動ばかりやっていた気がします。

 

新歓の時から親身にしてくださった学類・サークル内外の優しい人間に囲まれて少しずつ色々なメンタルが回復していく中で、自分の将来をある程度見つめ直す必要があるな、と思えるようになりました。

元々、自分は普通の理系として生きていくか、高3頃からの趣味だったオモチャみたいな(今も変わらず塵のような)物語を書く人として生きていくか、というところで結構真剣に悩んでいました。

 

受験を通して、自分は純粋に競争で価値を推し量るような環境で生きていくことはもう懲り懲りだと思っていました。受験に落ちたという意味では失敗したし、いい大学に行ったという意味では成功しましたが、どちらの視点で見ても、虚しくなるだけでした。(僕自身が他人にとっての『それ』であると思うのですが、大学に合格したことで過度な自信や優越感を持ってしまっている人や、有名大学を落ちて後期試験で入学したくらいで「お前らとは違うんだぞ」というプライドを抱えてしまった人、そういうひとが筑波大学には四年生になった今でも沢山いました。そういった方々を見る中で、自分がこれ以上醜くなるために誰かと争うことはまっぴらごめんだと思い至りました。)

競争への諦めと同時に、高給や出世についても興味がなくなっていったため、理系として堅い仕事に就く必要もなくなりました。そしてクリエイティブをしよう、という気持ちが強くなっていったため、数十年のプランで自分が納得する小説・あるいはADVのシナリオを書けるようになろう、と決心しました。進歩こそ少なく回り道も多かったものの、この4年間の殆どはそのために過ごしていたと思います。

 

そういう決定ををしたはいいものの、今度は自分が文章のために何を学ぶか、という点を考えなければなりませんでした。

 

理系としてSF作品をいつの日か書きたいと思ってはいて、ランドマークになる作品が幾つかありました。

一つ目は『シュタインズ・ゲート』でした。

応用理工学類に入った理由の一つは量子系の工学を学んでシュタインズ・ゲートのようなSF作品を作りたいから、という理由だったのですが、大学の先生や先輩と話しているうちにそこで学べることが自分の求める素材と少しずれている、ということに気が付きました。(入ってすぐ「タイムマシンとか無理無理」と先生に言われてしまい、かなり打ちひしがれたことを覚えています。)

 

そして別ベクトルで大切にしていた作品は「イヴの時間」や「planetarian」などのヒト型AIが登場する倫理に触れた作品でした。AI倫理、特に「人工生命サイドの道徳」のようなものに漠然とした興味を持っていて、それが少しずつ自分の中で具体化されている段階でした。入学後、どちらかといえばこちらのテーマへの興味が大きくなっていたので、自分はこの『ヒトもどき』について探求し続け、いつか物語にしようと思いました。

 

しかし、それはどこで勉強できるのだろう、という疑問を持ちます。

 

応用理工学類のパンフレットには『情報』の文字が書かれているため勘違いをしていたのですが、ここでの情報はどちらかといえば量子情報のようなもので、AI倫理などの分野に関してはあまり役に立たないものでした。

そのため、どこかのタイミングで僕は自分の所属を、AI研究ができるフィールドに変更する必要があると思いました。

専攻を変更するにあたって、僕が立てたプランは以下の通りとなりました。

 

①仮面浪人をして、大学一年生から入りなおして情報系(あるいは、情報哲学)の勉強をする。

筑波大学編入試験、または転類試験を受けて、2年または3年から情報系の勉強をする。

③四年間を応用理工学類で過ごし、大学院試験で情報系(あるいは情報哲学)の研究を始める。

(④(全部ダメなら)研究を諦め独学で知識を得る、もしくはテーマを変更する)

 

 

大学受験を通して「リソースを一つのみに集中させても上手く行かないことがある」ということがよくわかったので、ここでどれか一つに的を絞るよりは中途半端でも全てを試してみるのが良いのかな、という風に考えました。

そのため、①~③のプランを順番に実行していくことにしました。

 

仮面浪人をするという話をした時、家族からざっくりと出された条件は

 

筑波大学と同じ程度には評価されている大学にして欲しい

・お金がないので国立にして欲しい

 

そして、自分の中での条件は

 

・首都圏に留まる方がクリエイターや企業と関わりやすいので、関東の大学にしたい

 

それらを勘案した結果、総合大学のA大学と工業系のB大学のどちらかに行こうかな、という話になったのですが、将来的にやりたいことがただの情報工学ではなくAI倫理だったので、文理融合系の研究室が多かったりするA大学に行くべきなのかな、と思いました。

とはいえある程度真剣に勉強した上で落ちた大学のため、それなりにリスクは高いと思っていました。

10月以降はサークルへの参加を辞め、後期の履修単位も12単位程度にしました(駄目だった時留年しないよう、最低限の単位は取得していました。)

アルバイトは週2程度で行っていましたが、それなりに待機時間や休憩時間があるものだったため、スキマ時間でレポートの内容を考えたりして時間を使っていました。

この時から、マルチタスクが大嫌いな僕が自らマルチタスクを強いるようになりました。

 

結果として、A大学への受験は失敗しました。

センター試験が終わった時、筑波大学情報科学類や情報メディア創成学類の後期試験の判定は良かったので受験をするか迷ったのですが、一年生からやり直す可能性があるというリスクを考えると、②の転類を受けたほうが気が楽だと思いました。

 

2年生

前述の通り仮面浪人は失敗しましたが、浪人時代のように「人生終わりだぁ~」なんて思う事はなく、落ちた日に先輩と飲みに行っていました。(「お前とまだテニスできるのが嬉しいよ」と言われて良い人間に恵まれたなあとぼんやり思っていました。)

 

目的は学問を修めることではなく物語をつくることだ、ということを思い出しつつ、春休みは基本的に物語を読んだり書いたりしていました(コロナの始まった時期、ということも関係して、ずっと家で文章のことを考えていました。)その時に適当にゲームシナリオライティングのコンテストのようなものに応募した結果、会社に誘われて商業作品のシナリオライターとしてのキャリアを開始しました。ライター非公表のソーシャルゲームのサブシナリオライターなので大した権威などはありませんが、自分の文章が商業作品になり、そしてお金になるという経験をここで初めて得ました。

 

そして、情報科学類への転学類をすることを決めました。

 

②を実行するにあたり、問題となったのが履修です。転類試験の結果は1月以降にしか発表されないので、発表の段階で2年生の講義はあらかた終わっていることになります。2年次編入ならまだしも、3年次編入では致命的です。加えて、仮面浪人の影響で1年次の単位は30単位ほどしかありませんでした。そのため僕は、

 

・転類先の授業だけを取った場合、転類に失敗した時に応用理工学類の二年生をもう一度繰り返す

・応用理工の授業だけを取った場合、転類に成功した時に情報科学類の3年生ではなく2年生としてのスタートになる

 

という岐路に立たされてしまいました。

僕はどちらか一方を選択するような勇気や度胸はなかったので、何とか両方の講義を同時に取る、という方法を選びましたが、転類前と転類先のどちらの講義も、精一杯履修してやっと首の皮1枚(3年次でも50~55単位を履修し、その中で落としていいのは1,2講義だけ、くらいのギリギリの状況)繋がる方法を見つけました。その結果、2年次には1年次の倍程度、58単位の講義を履修していました。

しかも、プログラミング初学者なこともあり情報科学類の講義は何一つわからず、シナリオライティングの方も週に20時間程度は割かなければ施策のリリースに間に合わず、おまけに秋学期は転類の準備や研究計画の話を練らねばならず、という三重苦でした。

2年次は何かを削らなければ肉体的にも精神的にもやっていけない状況に追い込まれてしまいました。

秋以降、僕は所属していたテニスサークルの代表になっていたのですが、上述の理由と、コロナが活発化している東京に住んでいるため参加するのが後ろめたいという言い訳から、サークルにほとんど参加しなくなってしまいました。

後になって考えてみると、サークルに参加しなくても代表の仕事くらいはできるのに、それすら満足に行えていませんでした。先輩や同期や後輩に申し訳が立たない、という気持ちは今も強く残っています。

 

結果として、転類試験にはなんとか合格しました(最終面接試験はひどいものでしたが)

 

3年生

前述の通り、情報科学類への転学類に成功しましたが、結果的に引き継げた単位は53単位になりました。情報科学類の4年次への進級条件は、3年次の終了時点で100単位を取得している必要がある、というモノでした。

優秀な方だとこの時期に既に85~90単位程度を取り終えているのですが、僕はここで少なくとも47単位は取らなければ即留年、それ以上取ったとしても時間割のかみ合わせによっては即留年、という状態でした。

また、1年次の単位と3年次の単位の両方を持っておらず、時間割の重なりの関係で卒業が困難になる、といったような事件も発生していました。(昨年度の時間割から大きく変更はない、と言われていましたが、たまたま変更した部分が自分にとって致命的な部分でした。)

おまけに、プログラミングほぼ初学者が3年次の専門的な情報系の講義をいきなり受講するという状況で、理解度は壊滅的でした。その上、転類先の知り合いなどほとんどおらず、わからない課題を訊く相手もいない状態で、グーグル検索と返信の遅い教授へのメール送信だけで生き抜く必要がありました。

 

2年の春に初めたシナリオライターのお仕事に陰りが見え始めた(ちょうどメインのライターになっていた作品の経営状態が芳しくなく、イベントやガチャ等の施策が自分の望んだものと大きく乖離してしまっていた)最中、唯一といってもいいマトモに面識のある4つ上の情報科学類の先輩のツテで、その先輩のお知り合いの会社でのエンジニアインターンの紹介を頂きました。

プログラミング能力には自信がありませんでしたが、実務で身に着く力があるというような話もよく訊くことに加え、その先輩の(技術的にも人間的にも)尊敬していたため怪しい会社を紹介はしないだろういという思いもあり、参加させていただくことにしました。

 

商業的なシナリオライティングはストップし、しばらくは友人とのゲーム制作で自分の好きなシナリオを書こう、と決めました。

 

 

 

11月頃、テニスサークルは本当にうんこのまま代表の任期を終え、引退しました。元々運動はそこまで得意ではなく、他のことをかなぐり捨ててでも集中して練習しなければこれまで結果が出ていなかったので予想はできていたのですが、辛いものがありました。中学高校と、自分が代表だった際に掲げた目標は何とかクリアしていたため、初めて「ノルマすら達成できない」引退を経験しました。同期のみなさん、すみませんでした。

 

 

その少し前に(いつかは忘れましたが)卒業研究における研究室配属の話などがありました。そこで、改めて自分の目標を見つめ直す必要がありました。

前述の通り、将来的に僕が向き合いたいのは「AIに関する哲学」でした。それでも情報科学類を選んだのは、計算機に関する最低限の基礎が無ければAI哲学について論じるスタートラインにも立てないと思うから、という理由がありました。そのため学部の4年の卒業研究では通常のAIに関する工学的な研究(僕は『人間らしいAI』は言葉に拠る所が大きいと考えていたため、自然言語処理の研究などを行えないかと思っていました)を行い、修士からはAI哲学を研究させてもらえる研究室に行こう、と考えていました。

2年生の後半くらいから少しずつ連絡を取っていた博士課程の方(人工生命寄りのアプローチでAI哲学を研究していた方)の研究室に、まさに自分の目標と似た研究をしている方がその方を含め数名いたので、大学院試験でその研究室を受験しようとしていました。

しかし、数か月かけて研究計画を練っているところで、その研究室の教授が僕の受験年だけサバティカル休暇の関係で学生を採らない、という話が回ってきました。似たような研究をしている名古屋大の優秀な先生がいらっしゃいましたが、1年の時の仮面浪人と同様の理由で、関東ではない大学の受験は断念しました。学生取らないんじゃどうしようもないな、と思いつつ、どのみち学部4年では自然言語処理の研究をするという選択肢は変わらないだろうと思い、関連する研究室を卒研配属の第一志望としました。

 

4年生

AI×哲学の様々な研究をしている方々に訊いたところ、僕の考えていた「最低ラインの工学的な研究をしていないと、AI倫理を語る土俵にすら立てない」という予測自体は合っているように思えましたが、その「最低限」が自分の見積よりもずっと大きいな、という気がしてきていました。卒業研究なんてオモチャですし、修士でも真剣にやってやっとスタートラインかどうか、といった具合のような気がしています。そもそも研究室が無いという理由もありましたが、こういった後押しもあり、修士までは工学的なアプローチでAIと向き合うことを決めました。

 

卒業研究の配属では自然言語処理に関する研究ができる研究室に所属することが出来たのですが、ここでまた一つ問題が生じます。担当教員の中に『対話システム』を教えられる先生はいない、ということでした。(言い方が正しいかは知りませんが、たぶん基礎研究寄りの先生でした)喋るAIの倫理を研究したいのだから、初めは対話システム(最近だと機械学習を含んでいるような)の構築について学び研究したいなと思ってた矢先のミスです。

それでも何とか無理を通して卒業研究は対話システムをやらせてもらうことになりましたが、修士はもっと専門性の高い先生に師事した方がいいのではないか、という気がしてきていました。工学的なアプローチで学ぶ、という理由から内部院試を無難に受けようと思っていたのですが、方向転換し外部の対話システムに強い先生の研究室を受験することに決めました(3,4月頃)。

学校の選び方の基準は一年生の仮面浪人の時と一緒で、その時と同様にA大学とB大学に絞りました。どちらも8月の中盤が試験日でした。

 

しかし、丁度その頃、友人と制作していたゲームのシナリオが佳境ということもあり、5~6月は殆どシナリオを制作していました。7月の上旬ごろにマセマや青チャート(線形と微積)やコンピュータ科目の参考書を買って勉強を始めたのですが、微積は開くこともなく、コンピュータの科目は10科目程度と膨大だったため半分も終わりませんでした。(けれど本番はB大学の方で奇跡が起きて知ってる問題しか出ませんでした。あまり覚えてないですが7,8割取れたな、と思っていたら合格者の下から2,3番目でした。今後情報系のペーパー重視の大学院を受けるかたは、少し腰を据えて勉強をしておいた方が良いかもしれません。)

 

前述したA大学とB大学を1専攻ずつ受けたのですが、なんか一般の倍率が3倍くらいと5倍くらいでした。情報人気を強く感じました。

結果、運よく工業系のB大学で第一志望の先生に拾ってもらえたため、卒業できたらそちらの先生のもとで対話システムの研究を行う予定です。(哲学的なアプローチをする先生や、関連する講義はちょっと少ないのかもしれませんが、仕方がありません。博士課程か、就職した後にでも、好ましく思っている先生にコンタクトを取れたらいいな、と思っています。)

 

(余談ですが、これで僕は同じ大学に合計4回落ちています。)

 

その後は卒業研究と余った単位の取得、それからインターンに注力していました。卒業研究が一番忙しくなった11月に、気になっていたゲーム会社のゲームデザイナー部門に応募したところ、インターンとして採用されることになりました。プログラミングのバイトも続けていたので週に4日フルタイムに近い勤務をしており、土日にやっと研究や授業課題、個人のゲーム制作、というような状況でした。

純エンジニアでもシナリオライティングでもなくゲームデザインを選んだことはかなり正解だったな、と思っていて、かなり専門性の垣根を越えた作業もやらせてもらえるので、自分の制作に行かせる発見も多いです。これで芸術系(美術・音楽・映像等)を除いた一通りのゲーム制作における基礎の基礎の基礎に触れたのかな、と思います。

 

また、卒業研究の内容を通して自分の好きだった別のゲーム会社にコンタクトを取ってみたところ、興味を持ってもらえたので繋がることが出来ました。対話システムの研究の意義の一つに「疑似的な台詞生成」というシナリオライティングの補助機能があるのですが、この観点において興味をもつゲーム会社があるという事実は自分にとって喜ばしいことでした。将来どの媒体で自分の書きたい物語を表現するのか完全に定まってはいない今、エンタメ業界の人とのコネクションは一つでも多く持っておくに越したことはないと思いました。

 

 

 

おわりに

まだ卒業が確定していないので、もしできなかったら何しようかな、ということばかり考えています。

 

卒業できた場合、来年度からも研究とか頑張ります。

けれど、その場合も秋からは休学か何かを行おうかな、と考えています。

研究に割いている時間も勿論重要なのですが、時間のある学生のうちにもう一度くらい作品のことだけを考える期間が欲しいと思ったからです。

相変わらず何にもわからないので、勉強をしすぎたわけでも何でもないのですが、勉強にリソースを割きすぎたな、という反省はしています。

大学4年間を通して、非商業の文章はとんでもなく下手くそなものを50万字くらい、文庫本にして3,4冊程度しか書いていません。大学生活の一番の反省は文章をそこまで書かなかったことです。(もう一つの一番の反省はサークルのことです。)

 

なので、これからはもっと文章に時間を費やしていきたいです。

何か少しでも自分の納得がいくような、知らん誰かが一瞬でもしんどいばっかりの人生をマシに思ってくれるような物語が書けたらな、と思います。

 

 

最後書くの飽きてめちゃめちゃ尻切れトンボです。

シナリオでも尻切れトンボ癖があるので直したいところです。

 

(自分の話ってマジで書いててつまらないけど、常日頃から考えてることなので2時間とかで書けてびっくりしました。)

 

えいご

TOEICが院試に必要だったので受けました

 

英語は好きですが英語の勉強がマジで嫌いなのでろくに勉強やらないしメンタルだけなんか死ぬしでだるかったです 院試はごみです

 

以下勉強したこと

 

1.リーディング

記憶力に難があり単語が苦手なので2週間前くらいに金色の単語帳?を買って読んでました。

あと過去問を2回分ときました。

 

ほぼ単語帳しかやってないのに文法・語彙だけが平均を大きく下回っていたので勉強するってなんなんだろと思いました。

 

2.リスニング

マジで勉強したくなかったので洋画をずっと見てました、試験の3、4週間前くらいからです

あんま覚えてないけどその時期は週に3本くらい観てたと思います

慣れないうちは日本語字幕で慣れたら英語字幕にすると読む力も聴く力も上がっていいと思います

多分

 

観た映画を紹介します

 

ファイト・クラブ

すごい

 

ショーシャンクの空に

すごすぎる

 

リアル・スティール

すごい2

 

マイ・インターン

おもしろい

 

グリーンブック

すごい3

 

フォレストガンプ

すごい4

 

最高の人生のなんたら

めっちゃ好き

 

スタンドバイミー

まじですごい大好き

 

この辺は間違いないです

間違いない作品をみるといいとおもいます

何度も見かえすので英語の反復学習になります

たぶん

 

あと最近トップガンと続トップガン観に行ったけどおもろすぎてウケるわ

 

 

 

過去問は解きませんでしたが本番で一回しか読まれないことを失念していたり長文リスニングが3問一気に来ることを知らず後ろの2問を落としたり散々だったので一度くらいは過去問した方がいいです。

 

 

さいご

 

日本の院試ボーダー取れるくらいになったところで英語全然喋れなくてウケます

外国人の社員さんにオメーは何が言いたいんだという顔を毎日されています

プログラミングもシステム構築も機械学習もできないのに英語までできない

バイト先の置き物ですぼくは

うふふ

 

 

TOEFLも受けましたが受験料がウンコ高いので多分2度と受けないです。

地元(?!)なのでジョージアテックに行きたい気持ちが少しだけあったのですが、TOEFLのボーダーに1点足りなかったので諦めました

そもそもGPAがウンコなのでどうしようもないです。

そもそもそも日本語の機械処理研究がしたい時点で海外行く意味なくて色々どうしようもないです。

 

はぁん