人生いろいろ有栖川

触れたコンテンツの感想 など ネタバレあり 一旦のメモにも使うし改変も削除もする

4/21

今日の最後、質問の仕方がほんとに下手すぎて萎え萎えだった(よしだくんの前でBADですみませんでした)けど、刺身を食べて全部、全部解決しました
魚を捕食する側の生き物でよかった〜

 

 

そういう気分になってレターセットを買ったので、今から誰かに手紙を書いてみます

きっと手紙とは祈りである

 

日記

喉が治ってきたと思ったのでランニングをしたらだめだったので仕方なく自重トレーニングをした

風邪の治りが遅いの、運動不足もある気がしているので気をつけたい

 

キタニタツヤのれびてーしょん、「返して 返してよ! 僕らしか好きじゃなかっただろ!」というフレーズでああこれはかつての美少女コンテンツの話なのかなと思って調べたらニディガの曲でとても微妙な気分になった

 

今週は夜すべて外食なので健康とコストが恐ろしい…

日記まとめ

やっとこさ喉の調子が快方に向かっていて嬉しい
今週は体調不良なのに予定が多く休めず大変だった
色々と最近の出来事を書く


・水曜は研究会でゲームデザインの勉強。ほんとうに何が何やら全くわからない。未履修科目である。一旦は大量に作品に触れつつ、並行してそのロジックも勉強しなくてはならない。最初の一年は特に恥と迷惑のオンパレードなのだろうな、覚悟

・土曜は飲み会に行って、業界の先輩の話がたくさん聞けて良かった。そして火のないところに煙は立たないのだな、と改めて思った

 

・友達のピアノのコンサートに行った。叩けばその音が鳴るだけの最も直感的な楽器でどうしてここまでの感情を詰め込めるのだろう、と思う。以前彼の家に招待されて聴かせてもらったのはバルカローレで、彼がそのときに「芸大の入試までは早い曲を弾き切るだけでよかったのだけれど、それゆえに入学してから遅い曲に感情を込めることに苦労していた」と話していた。今回は早い曲と遅い曲のどちらも堪能することができて良かった。
・なにより、なにより楽しそうなのが良かった。葬送曲でさえもどこか味わい尽くすように弾いていて、ああ彼はショパンとラフマニノフが本当に好きなのだろうな、ということがありありと伝わってきた。表現者は噛み締めて表現を行うべきだ、と再認識する。

 

・春夏秋冬代行者のアニメのOP/EDがOrangestarだという話。ヴァイオレットエヴァーガーデンもアスノヨゾラも高校時代はピンと来なかったけれど、大学に入ると暁佳奈とOrangestarにどっぷりだったから、ああ見透かされているのだな、と思う。二つの共通項、というか自分が好きな理由に関して言えば、世の中が美しいことをどうしようもなく理想主義的に信じているから、というかなんというか。祈りが見えることが自分に合っているのだと思う。

・「快晴」の歌詞を改めて眺めていて「じんせい」に「人世」という漢字を当てていることに気がついた。じんのステラには「息が白冷めて」という存在しない言葉があったなあと思い出す。宮沢賢治をはじめとした過去の文学について、あの時代には新たな日本語を開拓しようという気概がふんだんに感じられたから好きだ。この辺りの言葉に対するフロンティアスピリッツは受け継いでいってほしいと思う。

 

・色々な方と話していて、当たり前のことだけど、仕事を続けるか否かは人、とにかく人なんだな、ということを再認識した。いつか誰かにとっての「この人がいるから仕事に行くか」になりたい。そこまでいかなくとも、褒められもせず、苦にもされず、そういうものに、ひとまずなりたい。
・まだまだいい作品をつくることに100%の気持ちが向けられていなくて、自己満足やらにほんの少し気が向いていそうなので気をつけたい。自己を捨てて捨てて捨てて、作品の価値、ユーザーの価値、そういうものに目を向けたい。研修期間じゃモノがないんだからどうしようもないだろうとはわかっているけれど、それでも研修期間にマインドを整えておきたい。とても繊細で、がんばることに時間がかかる脳みそをしているので。

 

・美少女怪盗と申します 毎日仲良く 楽しく 仕事をがんばります よろしくお願いいたします

 

誕生日

・社会人最初の金曜日は同期とご飯を食べて花見をして、帰路についていたところで大学の友人に呼び出されて飲み会が始まって、気づけば朝四時に海老名に居た。たまにはこれくらい体力を発揮できる社会人であり続けたい。

 

・またひとつ歳をとってしまった。誕生日はメキシコ料理を食べた。漫画家のせきやてつじ先生ろ大学の中南米の講義の先生がお勧めしていてずっと気になっていたところだ。想像以上に美味しかった。チーズと辛さの暴力なのだから当然だ。

 

・今週末は誕生日のあれこれでほとんどインプットに使えなかったから、平日になんとかしたい…と思いつつ、もう火曜から金曜の夜は予定が埋まってしまっている、なかなか難しい

 

・残業をしなければそりゃあ時間ができるのだけれど、正直言って働かせて欲しい気持ちがある。どの程度許されるのかが気になる。

 

 

他者との関わり方を根本的に履き違えている気がする

あんまり社内の政治やお金に気を取られすぎず仕事に取り組んでいきたい。

自己の評価を上げることと良いものをつくることは必ずしもイコールじゃないし、集団における競争を意識してしまうと大体失敗することは過去の人生から経験済みなので。

なんというか最近、変に自分を大きく見せようとしてしまっている気がする。
はやくいい作品づくりに貢献することだけ考えるようにしたい。

無邪気に創作の話だけしていたい。

 

・人の悪口を言わない

・作品の悪口を言わない

 行うなら適切に批評を行う

・必要以上に自分の話をしない、大きく見せない

 

こういうことを他人が見える場所に書いている時点で駄目なのだろうな。
真に誠実な人間は誠実でありたいとは言わない、それが当たり前なのだから。

 

創作が好きなのではなくて創作をしている自分自身が好き、という人間にはなりたくない。今のところ、かつて自分が最も嫌悪していた類の人間にかなり近づいている、少なくとも一部の他者からはそう思われている気がする。

note.com

 

---------------------

とはいえ、すでに仕事に対しては焦っている。上述した話を抜きにしても、自分がそもそも良い作品づくりに貢献することができないのではないかという不安が毎晩のように襲ってくる。プログラムもテキストも論理思考も全てが中途半端で器用貧乏なので、早く実力を伸ばさねば、あるいは他人の実力を少しでも引き出せるようにせねば、この場所に居る意味がなくなってしまう。

ただでさえそういった危惧を抱えているのに、他者とうまく関われないなんて、本当に、本当に、こんなことをやっている場合ではない。自分の手札なんてそう多くはなくて、多少集団でのマネジメント経験があることを除いてしまったらあとは泥臭さくらいしか残されないのだから。

まだ足りないものが多すぎるのに、もう20代も7割が終わろうとしている。

---------------------

誰かに嫌われても仕方ない、と言われるたびに、できるなら誰にも嫌われたくないのだけれど、と思う。仕事をする上で嫌われることと、人として嫌われないことは二律背反ではないと思っている。

---------------------

日中、ポストエヴァの影響について軽く話し、伊藤計劃のこれをまた思い出した。

itoh-archive.hatenablog.com

 今、ぼくがこの社会に生きているという逃げようのない事実を扱う映画。肉体を持つ一顧の人間として「今ここ」に生きることの意味を問う映画。その意味では「エヴァ以降」ともいえる最近のアニメーションの流行に近いかも知れません(エロゲーでも流行ってるみたいですね。基本的に恥知らずな業界だから)。しかし、疎外と孤独を扱っていればアニメやゲームとして認められてしまうところが、この業界の19世紀的な幼稚さです。あの手のモノが、ぼくは大ッッ嫌いです。

今日話した作品もこの「疎外と孤独を扱っていれば認められてしまうゲーム」の範疇にまさにあるわけで。だからこそ僕は好きなんだけど。

伊藤計劃は僕の知るゼロ年代の日本人で最も優れた作家であるという気持ちは今も変わらないし、上にある彼の批判も事実だと思うのだけれど、だからこそ、なんとかこのポストエヴァの系譜に乗っかった上で、現代におけるその先を提示できないかな、というのは今後も考え続けていたい。

個人的にはMyGO!!!!!がこの系譜の先にあると思っているのだけれど、もう少し時間をかけて紐解く必要がありそうだ。

---------------------

人生とか社会とかが無性にキツいなと思いながら大学をサボり、山手線の降りたことない駅で降りてみよう、と思ってたどり着いたのが大崎駅との出会いだった。蔦屋書店がまだあった頃で、なんとなく店頭に置いてあった『キリエのうた』の小説版を買って読んだ。僕は岩井俊二のフィルムよりも活字の方が好きなのかもしれない、と今でも思う。彼はなぜいつも瓜二つの二人の人間を題材にするのだろう、キリエのうた然り、Love Letter然り、ラストレター然り…ということがとても気になっていたが、最近本人の回答を見つけた。自覚的ではなかったんだ。

映画監督・岩井俊二の「風景」を紐解く─記憶が、映画を生み、そして誰かの風景になる | ARTICLES | ARToVILLA

---------------------

音楽に疎い。

youtu.be

 

あらためて、創作を仕事にするにあたり

今月から本格的に創作を提供してお金をもらうことになるので、改めて自分の仕事の意義について考えるメモ。
日本語がだいぶおざなりになっているけれど、書かないよりはマシだと自分に言い聞かせる。
ただでさえこれから数年間、仕事でテキストを書くことは減ってしまうのだから。

 

創作をすることはとてもわがままである

まず僕は「創作をしていることそれ自体が素晴らしい」という意見にかなり抵抗がある。もちろん創作が尊いものであることは確かなのだけれど、その言葉を盾にして、承認欲求やお金儲けのツールとして使っている事実から目を背けるクリエイターが多く存在すると感じているからだ。

(大学生の始めのころにテキストを書いていたソーシャルゲームは課金圧が非常に強く、創作性をないがしろにしているタイトルだった。僕の仕事は誰も救っておらず、誰かの人生の浪費にしかなっていない、という事実は個人的に辛かった。)

世の中を物理的に幸福にする職業が無数にあるにも関わらず、そうでない仕事を選んでしまった以上、それが自分のエゴに起因するものであるということを自覚すべきだ、と考えている。

また、他人ではなく自分本位で仕事を選んでいるのだからこそ、せめてその他人(顧客)に少しでも価値を与えなければならないと思う。

 

 

創作を通して読者に価値を提供すべきである

創作を通して顧客に与えなければならないその「価値」とは何か、ということを考えた時、僕は「現実からの逃避場所」だけでなく「現実に向き合う力」まで与えることが必要であると思っている。現実から目をそらしたくてやってきたユーザーを癒し、最後には再び現実に立ち向かう活力を提供する、そこまでできて初めて本当に価値のあるエンタメになると信じている。

(余談になるが、僕はそれが「二次元」エンタメであることにも一定の意義があると考える。実写映画やドラマを鑑賞していた際、役者に『現実の人間』を感じすぎ、逃避しているはずなのに彼らに対しての劣等感に苛まれてしまうことがあったためである。二次元に射影され抽象化された「半」人間の生き様のほうが、むしろすんなり受け入れられることがあるし、それが一つの二次元エンタメの意義であると思う)

また、いちユーザーとしても、自分を救ってくれた作品に対する最高の恩返しはお金を落とすことではなく「救われたことを行動で示す」ことだと思っているし、これからもそうでありたい。

 

創作の提供する価値は閉ざされていて欲しくない

欲を言えば、鑑賞したユーザー側のアウトプットがエンタメの閉ざされた業界で完結しなければ良いな、と思う。上の「現実に向き合うこと」もその一環であるし、もっと具体的な例を挙げるならば、SF小説の内容に憧れた人間が科学者を志すようなことが起こって欲しい。
自分自身が創作物に関連する業界に行ってしまったから矛盾しているのだけれど、自己完結する部分集合はそれを切り離してもなんら世界に影響を与えないため、ほんとうの意味で世の中のためであるとは言えない気がしているので。

ただ、こういった考えを持っているために『超かぐや姫!』で提示されたものには向き合う必要があると感じた。「エンタメに救われた人間の還元先がエンタメであっても構わない」というあの結論は山下監督の創作者としての願いなのだろうが、推し活などの肯定にもなるという意味で現代的でもある。

 

 

他の創作者はこんなこと考えないでほしい

そんなことを考えない方が結果として良い作品が出来上がる、というのも事実である。
エゴの塊こそが作家性であるし、僕もいち読者としては他人のエゴの表出を望んでいる。
また、過度に相手を意識した結果あざとさを持ってしまったコンテンツはくだらない。ユーザーはそういったことに対し、僕らが思っているよりもずっと敏感である。
そういった理由もあり、他人にはとにかく自分勝手でいて欲しいし、自分の好きな創作物を生み出し続けて欲しい。自分自身も拘泥しすぎないように気をつけたい。(ただでさえ、人に合わせてつまらないコピー品を生み出してしまいがちなので)

 

リハビリやモチベーションの維持のために、しばらくは毎日こういったとりとめのない日記を書いていきたい。