人生いろいろ有栖川

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筑波大学での4年間の過ごし方パーフェクトガイド

はじめに

 

^^

 

 

1年生

補欠合格で何とか引っかかった筑波大学の応用理工学類で大学生活が始まりました。最初の半年はサークル活動ばかりやっていた気がします。

 

新歓の時から親身にしてくださった学類・サークル内外の優しい人間に囲まれて少しずつ色々なメンタルが回復していく中で、自分の将来をある程度見つめ直す必要があるな、と思えるようになりました。

元々、自分は普通の理系として生きていくか、高3頃からの趣味だったオモチャみたいな(今も変わらず塵のような)物語を書く人として生きていくか、というところで結構真剣に悩んでいました。

 

受験を通して、自分は純粋に競争で価値を推し量るような環境で生きていくことはもう懲り懲りだと思っていました。受験に落ちたという意味では失敗したし、いい大学に行ったという意味では成功しましたが、どちらの視点で見ても、虚しくなるだけでした。(僕自身が他人にとっての『それ』であると思うのですが、大学に合格したことで過度な自信や優越感を持ってしまっている人や、有名大学を落ちて後期試験で入学したくらいで「お前らとは違うんだぞ」というプライドを抱えてしまった人、そういうひとが筑波大学には四年生になった今でも沢山いました。そういった方々を見る中で、自分がこれ以上醜くなるために誰かと争うことはまっぴらごめんだと思い至りました。)

競争への諦めと同時に、高給や出世についても興味がなくなっていったため、理系として堅い仕事に就く必要もなくなりました。そしてクリエイティブをしよう、という気持ちが強くなっていったため、数十年のプランで自分が納得する小説・あるいはADVのシナリオを書けるようになろう、と決心しました。進歩こそ少なく回り道も多かったものの、この4年間の殆どはそのために過ごしていたと思います。

 

そういう決定ををしたはいいものの、今度は自分が文章のために何を学ぶか、という点を考えなければなりませんでした。

 

理系としてSF作品をいつの日か書きたいと思ってはいて、ランドマークになる作品が幾つかありました。

一つ目は『シュタインズ・ゲート』でした。

応用理工学類に入った理由の一つは量子系の工学を学んでシュタインズ・ゲートのようなSF作品を作りたいから、という理由だったのですが、大学の先生や先輩と話しているうちにそこで学べることが自分の求める素材と少しずれている、ということに気が付きました。(入ってすぐ「タイムマシンとか無理無理」と先生に言われてしまい、かなり打ちひしがれたことを覚えています。)

 

そして別ベクトルで大切にしていた作品は「イヴの時間」や「planetarian」などのヒト型AIが登場する倫理に触れた作品でした。AI倫理、特に「人工生命サイドの道徳」のようなものに漠然とした興味を持っていて、それが少しずつ自分の中で具体化されている段階でした。入学後、どちらかといえばこちらのテーマへの興味が大きくなっていたので、自分はこの『ヒトもどき』について探求し続け、いつか物語にしようと思いました。

 

しかし、それはどこで勉強できるのだろう、という疑問を持ちます。

 

応用理工学類のパンフレットには『情報』の文字が書かれているため勘違いをしていたのですが、ここでの情報はどちらかといえば量子情報のようなもので、AI倫理などの分野に関してはあまり役に立たないものでした。

そのため、どこかのタイミングで僕は自分の所属を、AI研究ができるフィールドに変更する必要があると思いました。

専攻を変更するにあたって、僕が立てたプランは以下の通りとなりました。

 

①仮面浪人をして、大学一年生から入りなおして情報系(あるいは、情報哲学)の勉強をする。

筑波大学編入試験、または転類試験を受けて、2年または3年から情報系の勉強をする。

③四年間を応用理工学類で過ごし、大学院試験で情報系(あるいは情報哲学)の研究を始める。

(④(全部ダメなら)研究を諦め独学で知識を得る、もしくはテーマを変更する)

 

 

大学受験を通して「リソースを一つのみに集中させても上手く行かないことがある」ということがよくわかったので、ここでどれか一つに的を絞るよりは中途半端でも全てを試してみるのが良いのかな、という風に考えました。

そのため、①~③のプランを順番に実行していくことにしました。

 

仮面浪人をするという話をした時、家族からざっくりと出された条件は

 

筑波大学と同じ程度には評価されている大学にして欲しい

・お金がないので国立にして欲しい

 

そして、自分の中での条件は

 

・首都圏に留まる方がクリエイターや企業と関わりやすいので、関東の大学にしたい

 

それらを勘案した結果、総合大学のA大学と工業系のB大学のどちらかに行こうかな、という話になったのですが、将来的にやりたいことがただの情報工学ではなくAI倫理だったので、文理融合系の研究室が多かったりするA大学に行くべきなのかな、と思いました。

とはいえある程度真剣に勉強した上で落ちた大学のため、それなりにリスクは高いと思っていました。

10月以降はサークルへの参加を辞め、後期の履修単位も12単位程度にしました(駄目だった時留年しないよう、最低限の単位は取得していました。)

アルバイトは週2程度で行っていましたが、それなりに待機時間や休憩時間があるものだったため、スキマ時間でレポートの内容を考えたりして時間を使っていました。

この時から、マルチタスクが大嫌いな僕が自らマルチタスクを強いるようになりました。

 

結果として、A大学への受験は失敗しました。

センター試験が終わった時、筑波大学情報科学類や情報メディア創成学類の後期試験の判定は良かったので受験をするか迷ったのですが、一年生からやり直す可能性があるというリスクを考えると、②の転類を受けたほうが気が楽だと思いました。

 

2年生

前述の通り仮面浪人は失敗しましたが、浪人時代のように「人生終わりだぁ~」なんて思う事はなく、落ちた日に先輩と飲みに行っていました。(「お前とまだテニスできるのが嬉しいよ」と言われて良い人間に恵まれたなあとぼんやり思っていました。)

 

目的は学問を修めることではなく物語をつくることだ、ということを思い出しつつ、春休みは基本的に物語を読んだり書いたりしていました(コロナの始まった時期、ということも関係して、ずっと家で文章のことを考えていました。)その時に適当にゲームシナリオライティングのコンテストのようなものに応募した結果、会社に誘われて商業作品のシナリオライターとしてのキャリアを開始しました。ライター非公表のソーシャルゲームのサブシナリオライターなので大した権威などはありませんが、自分の文章が商業作品になり、そしてお金になるという経験をここで初めて得ました。

 

そして、情報科学類への転学類をすることを決めました。

 

②を実行するにあたり、問題となったのが履修です。転類試験の結果は1月以降にしか発表されないので、発表の段階で2年生の講義はあらかた終わっていることになります。2年次編入ならまだしも、3年次編入では致命的です。加えて、仮面浪人の影響で1年次の単位は30単位ほどしかありませんでした。そのため僕は、

 

・転類先の授業だけを取った場合、転類に失敗した時に応用理工学類の二年生をもう一度繰り返す

・応用理工の授業だけを取った場合、転類に成功した時に情報科学類の3年生ではなく2年生としてのスタートになる

 

という岐路に立たされてしまいました。

僕はどちらか一方を選択するような勇気や度胸はなかったので、何とか両方の講義を同時に取る、という方法を選びましたが、転類前と転類先のどちらの講義も、精一杯履修してやっと首の皮1枚(3年次でも50~55単位を履修し、その中で落としていいのは1,2講義だけ、くらいのギリギリの状況)繋がる方法を見つけました。その結果、2年次には1年次の倍程度、58単位の講義を履修していました。

しかも、プログラミング初学者なこともあり情報科学類の講義は何一つわからず、シナリオライティングの方も週に20時間程度は割かなければ施策のリリースに間に合わず、おまけに秋学期は転類の準備や研究計画の話を練らねばならず、という三重苦でした。

2年次は何かを削らなければ肉体的にも精神的にもやっていけない状況に追い込まれてしまいました。

秋以降、僕は所属していたテニスサークルの代表になっていたのですが、上述の理由と、コロナが活発化している東京に住んでいるため参加するのが後ろめたいという言い訳から、サークルにほとんど参加しなくなってしまいました。

後になって考えてみると、サークルに参加しなくても代表の仕事くらいはできるのに、それすら満足に行えていませんでした。先輩や同期や後輩に申し訳が立たない、という気持ちは今も強く残っています。

 

結果として、転類試験にはなんとか合格しました(最終面接試験はひどいものでしたが)

 

3年生

前述の通り、情報科学類への転学類に成功しましたが、結果的に引き継げた単位は53単位になりました。情報科学類の4年次への進級条件は、3年次の終了時点で100単位を取得している必要がある、というモノでした。

優秀な方だとこの時期に既に85~90単位程度を取り終えているのですが、僕はここで少なくとも47単位は取らなければ即留年、それ以上取ったとしても時間割のかみ合わせによっては即留年、という状態でした。

また、1年次の単位と3年次の単位の両方を持っておらず、時間割の重なりの関係で卒業が困難になる、といったような事件も発生していました。(昨年度の時間割から大きく変更はない、と言われていましたが、たまたま変更した部分が自分にとって致命的な部分でした。)

おまけに、プログラミングほぼ初学者が3年次の専門的な情報系の講義をいきなり受講するという状況で、理解度は壊滅的でした。その上、転類先の知り合いなどほとんどおらず、わからない課題を訊く相手もいない状態で、グーグル検索と返信の遅い教授へのメール送信だけで生き抜く必要がありました。

 

2年の春に初めたシナリオライターのお仕事に陰りが見え始めた(ちょうどメインのライターになっていた作品の経営状態が芳しくなく、イベントやガチャ等の施策が自分の望んだものと大きく乖離してしまっていた)最中、唯一といってもいいマトモに面識のある4つ上の情報科学類の先輩のツテで、その先輩のお知り合いの会社でのエンジニアインターンの紹介を頂きました。

プログラミング能力には自信がありませんでしたが、実務で身に着く力があるというような話もよく訊くことに加え、その先輩の(技術的にも人間的にも)尊敬していたため怪しい会社を紹介はしないだろういという思いもあり、参加させていただくことにしました。

 

商業的なシナリオライティングはストップし、しばらくは友人とのゲーム制作で自分の好きなシナリオを書こう、と決めました。

 

 

 

11月頃、テニスサークルは本当にうんこのまま代表の任期を終え、引退しました。元々運動はそこまで得意ではなく、他のことをかなぐり捨ててでも集中して練習しなければこれまで結果が出ていなかったので予想はできていたのですが、辛いものがありました。中学高校と、自分が代表だった際に掲げた目標は何とかクリアしていたため、初めて「ノルマすら達成できない」引退を経験しました。同期のみなさん、すみませんでした。

 

 

その少し前に(いつかは忘れましたが)卒業研究における研究室配属の話などがありました。そこで、改めて自分の目標を見つめ直す必要がありました。

前述の通り、将来的に僕が向き合いたいのは「AIに関する哲学」でした。それでも情報科学類を選んだのは、計算機に関する最低限の基礎が無ければAI哲学について論じるスタートラインにも立てないと思うから、という理由がありました。そのため学部の4年の卒業研究では通常のAIに関する工学的な研究(僕は『人間らしいAI』は言葉に拠る所が大きいと考えていたため、自然言語処理の研究などを行えないかと思っていました)を行い、修士からはAI哲学を研究させてもらえる研究室に行こう、と考えていました。

2年生の後半くらいから少しずつ連絡を取っていた博士課程の方(人工生命寄りのアプローチでAI哲学を研究していた方)の研究室に、まさに自分の目標と似た研究をしている方がその方を含め数名いたので、大学院試験でその研究室を受験しようとしていました。

しかし、数か月かけて研究計画を練っているところで、その研究室の教授が僕の受験年だけサバティカル休暇の関係で学生を採らない、という話が回ってきました。似たような研究をしている名古屋大の優秀な先生がいらっしゃいましたが、1年の時の仮面浪人と同様の理由で、関東ではない大学の受験は断念しました。学生取らないんじゃどうしようもないな、と思いつつ、どのみち学部4年では自然言語処理の研究をするという選択肢は変わらないだろうと思い、関連する研究室を卒研配属の第一志望としました。

 

4年生

AI×哲学の様々な研究をしている方々に訊いたところ、僕の考えていた「最低ラインの工学的な研究をしていないと、AI倫理を語る土俵にすら立てない」という予測自体は合っているように思えましたが、その「最低限」が自分の見積よりもずっと大きいな、という気がしてきていました。卒業研究なんてオモチャですし、修士でも真剣にやってやっとスタートラインかどうか、といった具合のような気がしています。そもそも研究室が無いという理由もありましたが、こういった後押しもあり、修士までは工学的なアプローチでAIと向き合うことを決めました。

 

卒業研究の配属では自然言語処理に関する研究ができる研究室に所属することが出来たのですが、ここでまた一つ問題が生じます。担当教員の中に『対話システム』を教えられる先生はいない、ということでした。(言い方が正しいかは知りませんが、たぶん基礎研究寄りの先生でした)喋るAIの倫理を研究したいのだから、初めは対話システム(最近だと機械学習を含んでいるような)の構築について学び研究したいなと思ってた矢先のミスです。

それでも何とか無理を通して卒業研究は対話システムをやらせてもらうことになりましたが、修士はもっと専門性の高い先生に師事した方がいいのではないか、という気がしてきていました。工学的なアプローチで学ぶ、という理由から内部院試を無難に受けようと思っていたのですが、方向転換し外部の対話システムに強い先生の研究室を受験することに決めました(3,4月頃)。

学校の選び方の基準は一年生の仮面浪人の時と一緒で、その時と同様にA大学とB大学に絞りました。どちらも8月の中盤が試験日でした。

 

しかし、丁度その頃、友人と制作していたゲームのシナリオが佳境ということもあり、5~6月は殆どシナリオを制作していました。7月の上旬ごろにマセマや青チャート(線形と微積)やコンピュータ科目の参考書を買って勉強を始めたのですが、微積は開くこともなく、コンピュータの科目は10科目程度と膨大だったため半分も終わりませんでした。(けれど本番はB大学の方で奇跡が起きて知ってる問題しか出ませんでした。あまり覚えてないですが7,8割取れたな、と思っていたら合格者の下から2,3番目でした。今後情報系のペーパー重視の大学院を受けるかたは、少し腰を据えて勉強をしておいた方が良いかもしれません。)

 

前述したA大学とB大学を1専攻ずつ受けたのですが、なんか一般の倍率が3倍くらいと5倍くらいでした。情報人気を強く感じました。

結果、運よく工業系のB大学で第一志望の先生に拾ってもらえたため、卒業できたらそちらの先生のもとで対話システムの研究を行う予定です。(哲学的なアプローチをする先生や、関連する講義はちょっと少ないのかもしれませんが、仕方がありません。博士課程か、就職した後にでも、好ましく思っている先生にコンタクトを取れたらいいな、と思っています。)

 

(余談ですが、これで僕は同じ大学に合計4回落ちています。)

 

その後は卒業研究と余った単位の取得、それからインターンに注力していました。卒業研究が一番忙しくなった11月に、気になっていたゲーム会社のゲームデザイナー部門に応募したところ、インターンとして採用されることになりました。プログラミングのバイトも続けていたので週に4日フルタイムに近い勤務をしており、土日にやっと研究や授業課題、個人のゲーム制作、というような状況でした。

純エンジニアでもシナリオライティングでもなくゲームデザインを選んだことはかなり正解だったな、と思っていて、かなり専門性の垣根を越えた作業もやらせてもらえるので、自分の制作に行かせる発見も多いです。これで芸術系(美術・音楽・映像等)を除いた一通りのゲーム制作における基礎の基礎の基礎に触れたのかな、と思います。

 

また、卒業研究の内容を通して自分の好きだった別のゲーム会社にコンタクトを取ってみたところ、興味を持ってもらえたので繋がることが出来ました。対話システムの研究の意義の一つに「疑似的な台詞生成」というシナリオライティングの補助機能があるのですが、この観点において興味をもつゲーム会社があるという事実は自分にとって喜ばしいことでした。将来どの媒体で自分の書きたい物語を表現するのか完全に定まってはいない今、エンタメ業界の人とのコネクションは一つでも多く持っておくに越したことはないと思いました。

 

 

 

おわりに

まだ卒業が確定していないので、もしできなかったら何しようかな、ということばかり考えています。

 

卒業できた場合、来年度からも研究とか頑張ります。

けれど、その場合も秋からは休学か何かを行おうかな、と考えています。

研究に割いている時間も勿論重要なのですが、時間のある学生のうちにもう一度くらい作品のことだけを考える期間が欲しいと思ったからです。

相変わらず何にもわからないので、勉強をしすぎたわけでも何でもないのですが、勉強にリソースを割きすぎたな、という反省はしています。

大学4年間を通して、非商業の文章はとんでもなく下手くそなものを50万字くらい、文庫本にして3,4冊程度しか書いていません。大学生活の一番の反省は文章をそこまで書かなかったことです。(もう一つの一番の反省はサークルのことです。)

 

なので、これからはもっと文章に時間を費やしていきたいです。

何か少しでも自分の納得がいくような、知らん誰かが一瞬でもしんどいばっかりの人生をマシに思ってくれるような物語が書けたらな、と思います。

 

 

最後書くの飽きてめちゃめちゃ尻切れトンボです。

シナリオでも尻切れトンボ癖があるので直したいところです。

 

(自分の話ってマジで書いててつまらないけど、常日頃から考えてることなので2時間とかで書けてびっくりしました。)